私が海外不動産事業にたどり着くまでの話 Vol.1

コラム  2020/01/10

みなさん、こんにちは!

市川隆久です。

今日は、私が今の仕事【海外不動産事業】にたどりつくまでのお話しを

していきたいと思います。

 

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私が完全にフリーになって、32年間のサラリーマン人生から自営業になって思うことは

「やっぱり独立して良かった!」です。

もう一つは、

「もともと海外志向が強かったので、仕事で海外に飛び回れることがとっても幸せ!」

ということです。

 

 

私は大学で中国語を専攻していました。(外国語学部中国語学科ですから本格的です、、)

大学の学部を選ぶ時に、本当は理系の気象学か天文学に興味があり、

数学は強かったですが、高校で数学をサボったこともあり、大学受験は文系にしました。

とにかく人と同じようなことをやることが嫌いで、他の人がやらないことをやりたがりな私は、

文系でも手に職をつけたい、あとはこれからは英語だけでなく中国語も出来ると良い、

という思いと打算で中国語学科に入りました。

その目論見は良かったもののいささか先を読みすぎたようでした。

19歳で小学校より狭い1クラス30名の教室で毎日中国語の授業を受けているうちに、、

会話以外は面白くないなぁ。当時の中国という国に興味が持てなくて、、

(そもそも打算もありましたので動機が弱いこともあり)、

要領良く4年で大学を卒業しました。

通常なら大学時代に中国に短期留学するのでしょうが、

当時は周りの友人もあまりそんなこと考えておらず、

卒業旅行も当時、今後なかなか行かないだろう国、

日本人がほとんど行かない国、のオーストラリアに3週間行きました。

というあまりに情けない大学時代でしたが、

大学の同級生も卒業時点ではほとんど中国語を使えない状況の人ばかりでしたが、、

その後、中国に赴任したりでみんな立派に中国語を活かしていますね。

仕事とするか生活すれば当然ですよね。国際結婚も語学上達の早道ですね。

 

 

そんな私は、当時まだ無名のリクルートに入社します。

人前で話すことが好きな私は漠然とアナウンサーには興味ありましたが、

そこまで真剣に考えることなく、また、中国語学科の男子は就職で困らないらしい、

という話を聞いて就活の努力もせずに、当時の有名企業への就活活動を一切せずに、

なんとなく縁があったリクルートに入社しました。

私が内定した時点では社名は、

「株式会社日本リクルートセンター」という名前でもあり、

女子には人気がありましたが、男子には特に人気はなかった、という印象でした。

採用担当が優秀で

(採用担当とわからない接触を取るため、内定が決まって採用担当と分かったのですが)

うまいこと乗せられて、その気になって入社しました。

 

 

内定確定が4年生の10月1日。

当時は、その日から数日はいわゆる「拘束研修」で、男子内定者は、

リクルートの関連のスキーリゾートの施設に缶詰になりました。

その後、内定者アルバイトと称した研修で11月から2ヶ月間、

営業マンとして本格的にリクルートで営業と仕事をやりました。

その2ヶ月間は結果こそほとんどタコの状態でしたが、社会人として、

営業マンとして、の基本、というか、根性、、というか、

リクルートの営業としてのパターンを理解しました。

と同時に、単純過ぎて面白くない、、という現実も理解しました。

(でもこの時の経験があるからこそ、基本的な努力の継続こそ大事である、

ということを学べましたので、この経験は本当に良かったと思います。)……

 

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このお話しは続きます。

また次回の更新をお楽しみにしていただければ幸いです。