みなさん、こんにちは!
市川隆久です。
今日は前回の
の続き【vol.5】をお届けしたいと思います。
▼前回のお話しはこちらです。
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【vol.5】
前回は、リクルートに入社を決めて、
内定者時代に営業マンの仕事をしたことの話を書きましたが今回はそのvol.4の続きです。
さて、1984年4月1日。リクルート入社式。
その日から株式会社リクルートという名前になりました。
当時のリクルートは新人配属の内示は入社前にはなく
入社式の場で1人ずつ名前と配属先が発表されることになっていました。
私は内定者時代にリクルートの最前線の採用開発部という部門の営業マンを経験して、、
スタッフ部門の希望は全くありませんでしたが、
「営業配属もあまり面白くないかなぁ、、」という気持ちでいました。
リクルートの商品と営業のパターンが単純でしたので。
アイウエオ順に、1人ずつ名前と配属先を発表されて行きます。
当時は、リクルートの他に関連会社4社にも出向の可能性があるよ、
という話は事前に聞いていました。
その4社は
1. とらばーゆの発行会社
2. 研修ビデオなどの映像会社
3. 人材派遣?のような内容の会社
4. 不動産会社
でした。
「まさか自分がいきなり出向はないだろう。。」など、
勝手に思い込む人が多いと思いますが、私もそんな1人でした。
しかし、私は「環境開発株式会社 営業部 営業開発室 出向」と呼ばれて、
周りからは笑いが起きていました。
当時の大卒内定者は300名。
そのうち25名が環境開発株式会社に出向になっていました。
私は、環境開発?不動産?出向?という感じでしたが、
ショックではありませんでした。入社式が終わり、
夜の入社パーティの場で、部門の先輩と上司に会いました。
その先輩は、後の東証一部上場会社の元社長のIさんでした。
あとHさんという先輩もいました。
同じ部門同期は今は行政書士のWさんがいました。
部長はHさんでリクルートの某支社長だった方が、
私の同じ4月1日から出向でお見えになりました。
私の部門は、その日から新設された部門でした。
実際は何の仕事かと言うと、仲介、その他でした。
当時の環境開発株式会社は、新人含めて100人。4人に1人が新人。
新人は最初は営業、拠点は東京、横浜、大阪で、マンション分譲事業を行っていました。
ブランド名は「ネオコーポ」長谷工さん仕様でした。
販売も主に長谷工さんが担当しており、営業マンは物件の販売責任者でした。
私は仲介、その他部門の配属でしたので、
主には新築マンションの買い替えの物件査定と売却が仕事なのですが、
とにかくびっくり!普通の会社と違うことばかり。
何が違うか。一言で言うと、素人集団、しかも若い。
しかし元気で前向き。権限も大きい。
社内では誰も知らない業務内容も多く、誰もが忙しい。
異動も3ケ月単位。ノルマは無いですが、形も無い仕事をすぐ作って試して結果を出す。
入社3ケ月後に埼玉の実家を出て日本橋のワンルームに引っ越しました。……
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続きはまた次回の【コライチ】でお届け致します。
いつもお読みいただきどうもありがとうございます。