私が海外不動産事業にたどり着くまでの話 Vol.8

コラム  2020/02/7

みなさん、こんにちは!

市川隆久です。

 

今日は前回の

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.7

の続き【vol.8】をお届けしたいと思います。

 

▼前回のお話しはこちらです。

私が今の仕事にたどり着くまでの話vol.7

私が今の仕事にたどり着くまでの話vol.6

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.5

私が今の仕事にたどり着くまでの話vol.4

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.3

私が今の仕事にたどり着くまでの話 Vol.2

私が今の仕事にたどり着くまでの話 Vol.1

 

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【vol.8】

 

私の入社3年目頃までは金利も高く、

預金金利も定期なら5~6%程度はありましたので、

1億円あったら金利で暮らせるな、と思っていましたね。

今の東南アジアがそんな感じだと思います。

コスモ西葛西の販売価格は2400万円でした。

66㎡の新築マンションで、借りたら家賃が12万円程度だったと思います。

当時は定期預金金利も6%程度だったので、

賃貸目的で利回り6%程度のマンションを買う人はほとんどいなかったですね。

 

※画像はイメージです

 

新築ワンルームマンションへの投資はあったと思います。

医師をターゲットとした投資マンションの不動産会社で

今の日神不動産の社名が日医神和だったと思います。

マンションで赤字を出して節税するパターンだったので、

今とあまり変わらないですが、値下がりリスクは今ほどではなかったと思います。

 

そんなこんなで、コスモ西葛西も苦労しましたが、

1984年から住宅ローン金利が下がり始めたこともあり、

徐々に頑張れば売れる、という頑張ることが成果に繋がるという、

今から思えば若手の育成環境にはもってこいの市況になりましたね。

 

また当時の私は売主の販売責任者だったので、

物件の販売経費を使う決裁権限や物件の収支管理も自ら手計算で毎月行っていました。

当然販売の売れ行きの責任者や入居までの内覧会の実施、引渡しの取りまとめ、

引渡し後のクレーム対応も自分がやっていました。

これは、今でも十分に役に立つ経験ができたと感謝しています。

 

不動産の契約や引渡し、その後のクレーム対応を通じて、

不動産に関するリスクヘッジのポイントが身をもってわかっている。

これ本当に私の強みです。

 

 

 

海外不動産の工事現場を見て、むかしの日本の工事現場と照らし合わせることができる。

営業が主な仕事と言っても、現場にいることも多かったです。

躯体、構造、工事のレベル、ゼネコンのレベル、など、何が大切か。がわかっている。

この経験はデベロッパーの営業だったということに尽きますね。

 

7月からコスモ西葛西のプロジェクト責任者になり、

10月から近くの船堀の130戸のプロジェクト責任者も兼務することになり、

12月にはその引渡しもあり、今だとありえないスケジュールで物件を引き渡す。

検査済み証取得の翌日に引渡し開始。やりましたね、そんなことも。

 

担当就任時には、広告代理店からのチラシの紙面の提案に、

良いも悪いもわからない状態だったのに、

3ヶ月後には代理店の担当者に、あれこれと注文をつけていましたね。

 

それもこれも、周囲の人に助けられながら、

責任者と立場を早いうちから与えてくれた会社と上司に感謝しています。

 

という一年目の私でしたが、年明けから新しい支社を開設する、という仕事をもらいます。

 

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その話は、また次回の【コライチ】で。