私が海外不動産事業にたどり着くまでの話 Vol.7

コラム  2020/02/5

みなさん、こんにちは!

市川隆久です。

 

今日は前回の

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.6

の続き【vol.7】をお届けしたいと思います。

 

▼前回のお話しはこちらです。

 

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.6

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.5

私が今の仕事にたどり着くまでの話vol.4

私が今の仕事にたどり着くまでの話Vol.3

私が今の仕事にたどり着くまでの話 Vol.2

私が今の仕事にたどり着くまでの話 Vol.1

 

★*…━━━━━━━━━━━━━━━━…*★

【vol.7】

 

前回は、リクルートに入社しましたが、

入社初日に不動産会社に出向した最初の3ヶ月の話でしたが、今回はその続き。

 

リクルート子会社の不動産会社に出向になって3ヶ月が過ぎて、

私とすればせっかく不動産仲介の仕事で頑張って行こうと思っていた時に、

いきなり部門がなくなって、新築マンションのプロジェクトの販売責任者になりました。

私が担当した初物件は江戸川区の西葛西の120戸のマンション。物件名は「コスモ西葛西」。

その後会社名をリクルートコスモスに変更して上場して行きますが、

その社名を使った第一号物件です。

 

※画像はイメージです

 

西葛西駅から徒歩6分。120戸の大型プロジェクト。

3LDK66㎡が2400万円台。平均坪単価は@120万円くらい。

 

売主は環境開発株式会社(結果コスモスイニシア)

施工は長谷川工務店(現長谷工コーポレーション)

管理は日環サービス(現大和ライフネクスト)

販売はHK販売(現長谷工アーベスト)

広告代理店は創芸(現DGコミュニケーションズ)

 

という顔触れ。

売主の認知度の低さに苦労しましたね。

当時のマンション市況は、在庫(売れ残り)の山のピーク。

1984年当時はバブルの約5年前。1980年頃からマンション価格も上昇。

金利も上昇したこともあり売れ行きが低下。

金利は民間住宅ローンが8%。住宅金融公庫が5.5%という時代。

大卒初任給は大手企業でも13万円くらい。

大学の学費が私立で年間40万円、国立で年間18万円。

アルバイトは日給で高くて5000円。

 

 

2400万円のマンションで

年収400万円あれば6倍に収まるので何とか買えた時代です。

首都圏のマンション在庫は公表ベースで2万戸。

実際は4万戸とも言われておりました。(ちなみにこの時の在庫数は史上最高でした)

それで毎年5万戸の新規供給も加わって来ますので、販売はなかなか苦労しましたね。

露骨な値引きはしにくいので、「500万円を3年間据置ローン」みたいな打出しで、

何とか買いやすさを出して販売する物件が多かったです。

私が入社した当時は、「マンションは簡単には売れない」

「中古になると値下がりする」という時代でしたので、

 

営業力や創意工夫がないとダメ、

ということを身をもって経験出来て良かったと思います。

 

その後、5年後に向けてバブルに突入して行きます。

その頃は営業力も関係なく売れましたので、

その頃入社していたら今の私はないかなと思っています。

 

★*…━━━━━━━━━━━━━━━━…*★

 

それでは、また次回の【コライチ】の更新を

お楽しみにしていただければ幸いです。